10カ月ぶりに、日本の書店に足を踏み入れた。
今日寄ったのは、駅ビルの中の本屋で、
1時間もあれば売り場全部を見て回れるほどの大きさだ。
小説のコーナーには、昭和の時代からずっとその名を見る本もあるし、
ビジネス書のコーナーには発売されたばかりの本もあって、
本屋というのは、いろいろな時代が入り混じった場所なのだと
不思議な感覚を覚えながら、見て回った。
当たり前のことだけれど、
一度に目に入る本の数が大量で、
これほど広範囲の情報を得ることは他ではないのではと思う。
読んだことのある本、
興味をそそられる本、
記憶にとどまることのないだろう本。
大量の情報だけれど、テレビやネットのように
押し付けられている感じはなく、
自分の足の速度とともに、
自然に受け入れていく。
そして、気が付く。
本屋で自分が調っていくことに。
私の中には、本屋でしか調律できない部分がある。
フランスにいる時、無性に日本の本屋に行きたくなることがあるのだけれど、
それは本屋で本に出会いたい欲求というより、
本屋で自分を調えたかったのではと
実際に本屋の中を歩きながら考えた。
同じような、調律する場所としての役割は
美術館、森、海、劇場にもあって、
そういう大量の何かに囲まれる場所に
身を置くことによる作用が
人には必要なのかもしれない。
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